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24時間耐久レースが初めて開催されたのは、18時間耐久レースが行われた翌年である。午後5時からスタートしたのは27台。24時間を走り切ったのは15台。リタイアした中にはPOPが東京から出ていったチームと、九州からやってきた鴨川チームの2台(ともにCB77改)が含まれていた。前年のようにはいかなかったのである。エントリーしていた顔触れには隅谷守男、鈴木忠男、本橋明泰、尾熊洋一、菱木哲哉、和田正宏といった後年それぞれ名を挙げた人たちがいた。まさに日本のロードレースが花開いた感がある。それも鈴鹿サーキットの登場で生まれた大いなる産物である。
ホンダが威信をかけたCB72は爆発的な売れ行きを見せていた。第1回目の鈴鹿18時間耐久レースは、CB72が登場して5年目の’64(昭和39)年8月1日から2日にかけて開催された。世界GPとは対局にあって、比較的一般向けのモータースポーツの普及を目指しただけあって、今日に及ぶ鈴鹿8時間耐久レースの定着が、それを証明している。POPにとって初の大きなチャンスだった。九州から駆けつけたのは総勢15、6人。チームの内訳は251ccクラスに松本明、緒方政治、青木一夫の3人のライダーとCB77。250ccクラスに倉留福生、渡辺親雄、高武富久美の3人とCB72。監督は両チームともPOPである。レースは120周を過ぎるころから2位につけていた倉留チームが270周手前でリタイア。かわって松本チームが1位をいくホンダの研究所チームのCB77をぴたりとマーク。そのプレッシャーに疲れたのか残り3時間過ぎにエンジントラブルで止まってしまった。あとは難なく走り切って記念すべき1位のチェッカーを受けた。
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